その4 六月といえば…篇 A
カワサキ・ゼファーの、しかもしかも もしかして限定解除かもという、重厚で大きな車体を苦もなく軽快に操って。悪名高き“賊徒学園”の制服、白い詰襟をちょいとばかり改造し、腰のあたりには壁に這うトカゲのシルエットの刺繍をほどこした、裾の長い白ランをばさばさと翻しつつ、結構なライディング・テクでもって街中を疾走する黒髪の総長さんは。昨年の春の初め、まだ高校一年生に上がったばかりという究極の若輩であったにも関わらず、ここいらをあっと言う間に締めてしまったその腕っ節と侠気(おとこぎ)とからも有名人であったのだが。そうなってから さして日を置かず、別のことでもっと有名になってしまった人でもあって。
「…だから。人が食ってるトコを嬉しそうに見物してばっかいねぇで、自分の飯をとっとと食え。」
「だってよ。なんで舌でストロー捕まえねぇんだ? 箸の先っぽ、口まで持ってかねぇでも舌で届くんじゃねぇのか?」
「うるせぇなっ。ちょっとばかり長いだけで、そういう風な器用なことまでは出来ねぇんだよ。」
「そんなん詰まんねぇ。せっかくなんだから何か芸しろよ。」
「何がどう“せっかく”なんだよ。お前の方こそ、そのバッテン握りの箸の持ち方をとっとと矯正せんかい。さっきからうどんが逃げまくっとるだろうがよ。」
「いいんだも〜ん。俺まだ子供だから、大目に見てもらえるし。」
「都合の良い時ばっか、子供ぶるんじゃねぇよ。」
「へへぇ〜んだ。羨ましいだろ〜。」
最近は仲睦まじいお話が続いておりますが、こういう口喧嘩もどきの憎まれ口の応酬も、実はあちこちでご披露している名物コンビ。片やが精悍で大柄な、いかにもなやんちゃ筋っぽいいで立ちのお兄さんなら、もう片やはお人形さんのように愛らしい風貌をした坊やという、何とも不思議な組み合わせなもんだから、こんな二人がただ一緒にいるというだけでも、一体どういう間柄なのかしらとばかり、妙に目を引き、周囲からの好奇心を煽ったものだが。
――― そんな彼らが繰り広げるやりとりがまた、あまりに意外すぎて。
屈強精悍、筋骨もがっつりと張ったいかにも頼もしい体躯と、野趣に満ちた男臭い風貌。大人びていて貫禄さえ感じさせる、威容に満ちた容姿…にそぐわぬほど、それはそれは大人げなくも、坊やの言いようへいちいちムキになりっ放しのお兄さんと。迎え撃つは…こちらさんも、けぶる金髪に白磁の肌という淡彩の、天使のようにほっそり儚くも愛くるしい姿とは裏腹に、結構 口の悪い物言いを、打てば響くという間の良さにて機関銃みたいに連射する坊やという、外見と言動のミスマッチという点ではぴったりお揃いのお二人さん。裏の裏なら結果としては表になるというくらいのノリで、見た目から受ける印象を双方ともにあっさりと引っ繰り返してしまうからか、周囲の皆様が呆気に取られていたのも最初の内だけ。今やクスクスという苦笑を誘わずにはいられない、お元気な迷コンビとして、駅前の商店街や飲食店などでは有名になりつつある二人連れでもあったりするとか。
『切っ掛けはいつだって揚げ足取りとか罪のないことからみたいだし、聞いてると馬鹿馬鹿しい内容の時の方が断然多いからねぇ。』
どっちも自分からは流したり引いたりしない、丁々発止な応酬なのが、どこか漫才みたいで面白いやら笑えるやら。どんなに腹が立っても総長さんは絶対に手を挙げないし、坊やの方も賢いからこそやり込めているだけで、あんまりにも侮蔑するような物言いはしないから、どっちも本気で相手を傷つけようとする“喧嘩”をしているとの意識まではないらしく、
『正に痴話喧嘩の典型だよね』
それを当人たちへ直接言って…笑って済むのはメグさんだけで。女性だからではなく、到底かなわないからだってのは、ある意味“公正”ではあるけれど。(…そうかな?)
「これから暑くなったらサ、その舌 出して、体温調整するんだよな。」
「うっせぇな。そりゃあ犬だろがよ。」
「あ、そっかぁ。ルイはカメレオンズだもんな。爬虫類は皮膚呼吸だったよな、ごめんごめん。」
………アニメでもやたら舌を出してる総長さんなので、今まで扱ってなかった分、一気に触れてみている筆者ですが、ウチのお話だとやっぱり違和感があるような。(う〜んう〜ん) それはともかく。
「今日はえらくのんびりしてんのな。」
早々と初夏限定メニューとして紹介されていた、カラシ大根のおろしうどんと夏野菜の天ぷらセット、なんていう大人好みの一品を、きちんと…というには少々怪しい箸使いながらも奇麗に平らげて。ここのはファミレスのドリンクにしては味も香りも上等なアイスティーを、のんびりと堪能している坊やが向かい側のお兄さんへと訊いた。昼休み前の授業が自習だったのは分かるとして、もうそろそろ昼からの授業が始まってしまいそうな時間になっている。バイクでひとっ走りだから余裕なのかな。それとも、自他共に認める“不良”だから遅刻やサボりなんてもんは日常茶飯事で、特にこだわってないのかな。でも、あんまり素行が悪いと、部活動を中止なんてことへ運ばれやしないかなと。憎まれ口を叩くくせして一通りの心配もしてしまうところが、何とも複雑なお年頃な坊やであるらしくって。(おいこら)
「そうだな。そろそろ戻るか。」
お兄さんの側とても、ああまで喧々囂々とにぎやかだった喧嘩腰には…遠慮もなかったが他意も無く。あれこれ省略されていた坊やからの短いお言葉の意味するところが分かっている上で、波風立たない穏やかな反応で応対し。こちらさんはアイスコーヒーのストローから口を離すと、腕時計をちらっと見やってから、テーブルの隅に置かれてあった、細長いバインダーに挟まれたレシートに手を伸ばした。それから、
「…ほれ、貸しな。」
さっき席に着く時に小さな背中から降ろさせた、ランドセルの重さに気がついて。少々目許を眇めていた葉柱は、坊やが再び背負い直そうとする前にひょいと…問題の背嚢を取り上げると、デイバッグのように自分の片方の肩へと背負いバンドをまとめて通す。
「何が“育ち盛りだから”だよな。」
あはは…さすがに気がついたんですね。何でまた、ひょいと抱えた重さが時々ずんと増す坊やなのかに。(笑)
「こんな重いの背負ってたら背が伸びねぇぞ?」
「たまにだから大丈夫だ。」
姉崎センセーから言われたのと同じような言いようをされた坊やは肩をすくめて笑って見せる。店を出てすぐのところに停めてあったゼファー。傍らまで歩みを運ぶと、総長さんは断りもなくランドセルの蓋を開け、小さいとはいえ総量1kgずつのダンベル2個と、射出用の小さなガスボンベを慣れた手際で外した、S&Wのオートピストルタイプを模した小型エアガンとをバイクのシート下の収納へと移し替える。
「帰る時に言いな。」
「うんっ。」
それまで預かっとくではなく、入れておいてやるという意なのもちゃんと通じているツーカーぶり。バッグの中を見るに際して一言の断りもなかったその上に、大事な銃を出されたり弄られたりもしたのにね。それへと“勝手なことをしたっ”と膨れたりなんかしない坊やであり、
「ほれ。」
脇へと差し入れられた大きな手で、ひょいっと軽々抱えられれば、そこへ降ろされる間合いを考えて姿勢や位置を修正し、補助用のシートにきっちり収まる呼吸の合いようもぴったりで。ハンドル側から脚を回してという乗り方にもすっかりと慣れた総長さん、セル一発でかかったエンジンと同時、背中にしがみついた小さな温みへ知らず口許をほころばせつつ、なめらかな加速をかけるとバイクを発進させた。スピードに乗って走行することで出来る風にあおられて、学ランの長い裾が後方へと舞い上がる。後ろにいる坊やを車体の左右からくるんとくるみ込むのが、あのね?何だかね?
“大きな翼があって、それに乗っかって翔んでるみたいなんだよな…。”
背中から生えてるものにしちゃあ、今イチその位置が低いけど、そこはご愛嬌というところ。よくよく鍛えていて堅いけど温かい、広くて頼もしい背中にしがみつき、疾風のように街中を駆けるのはいつだってサイコーで。それが出来なくなるから、あのね? 以前はどうでも良かった雨降りが、今は大嫌いになっちゃったほど。JR沿いの国道を直進して、黒美嵯川をまたぐ橋を突っ切れば、あちこち破れてほころびたフェンスと落書きだらけで鉄条網つきの塀に囲まれた、ちょいとくすんだ四角い建物が見えてくる。初めて観た人には少年院にも見えかねないような、窓も小さきゃ格子も多い、何とも殺伐としたデザインの外観ながら、これでも大学付属の歴史はある高校。
“アメフトが強いって歴史も作らないとなvv”
それへと一役買っている、小さな 自称“鬼コーチ”殿。最後の坂を駆け降りる加速に乗って、車体が軽く浮き上がる感覚へ、思わず“ひゃっほう♪”と歓声を上げて、お兄さんの口許へ苦笑を誘う。これもまたいつものこととて、まさかこの先にとんでもない“非日常”が待ち受けていようとは、この時点では思いも拠らなかった坊やだったのでありました。
◇
あちこちにぼろぼろと穴が空きまくりの金網フェンスに囲まれた、校舎裏の広々としたクレイ仕様のフィールドが、今やアメフト部専用と化している賊徒学園高等部の第二グラウンドなのだが。
「???」
校舎に近い側の一角に、いつもは見かけない特殊車が停まっている。大きさはちょっとしたマイクロバスのようだけれど、窓の配置やドアの位置がどこか変わっていて、
「んだよ、この車。」
「勝手に乗り入れてんじゃねぇよっ。」
血気盛んで何にでも難癖いちゃもんつけたがるお年頃。自分の強さを試したいのか、それとも自分より弱いものを這いつくばらせて悦に入りたいのか。どっちにしたって相手には迷惑千万な挑発をもって、揮発性も高いまま、威圧的な声を上げていたのは…アメフト部員ではない顔触れで、バイクや喧嘩仲間の方の“族”の中にも見ない連中。葉柱が仕切っている“族”は必ずしも全員がアメフト部員という訳ではないのだが、逆を言えばアメフト部員はそのままほぼ全員が“族”の面子。そんなせいか、葉柱本人へは直接つっかかれない、ある意味で自分の器をよく知るレベルのツッパリ連中が、そっちでの憤懣を“アメフト部”へ向けて、ささやかな腹いせをこっそりとすることが稀にあるらしく。
“??? それって順番がおかしくねぇか?”
アメフト部に恨みがある人が、アメフトの仇や遺恨を、直接には関係ない“族”の奴へ持ってってつっかかるんですか? その方がある意味“捨て身な行動”なんではないでしょか。
“…あ・そっか。”
どっちが強いのかという定規が、賢くって回転も早いはずの坊やの感覚を一瞬ながらも狂わせたのは、土俵の次元が違うから。下らない喧嘩なんかとアメフトを、一緒にしたり天秤にかけたりしてほしくはないという信念は、相変わらずに変わっていない妖一くんであり、
“男の面子なんか糞喰らえじゃんかよな。”
試合に勝つためだったら、それ以外の場でどんなに馬鹿にされたって良いじゃんかと…どっちが崇高な考え方なんだか、ここいらが話がややこしくなる元凶なのかもしれないが。(う〜んう〜ん) そういった価値観とか精神論のお話は、今はちょこっと置いといて。
「業者の車なんなら、もっとしおらしく遠慮して停めとけよっ。」
もしかしてアメフト関係の車かもしれないが、そんなこと知ったことかいと思った輩であるらしく。難癖をつけるだけでは飽き足らず、近間の周囲に人影がないのを良いことに、足を上げるとボディをダンッと思い切り蹴りつけた。普段の生活には恐らく意味がない、底の分厚い作業用の特別靴をカッコつけて履いてたらしく、蹴るという攻撃には格好の装備。戦闘力もさぞかし上がるらしいその証拠には、蹴った部分に見事な凹みが入ったからで。まだ間近にまでは至っていないながら、そんな情景を視野の中へと入れていた、こちらは部室から出て来たばかりなアメフト部のご一行、カッコ午後からの授業を自主休講組カッコ閉じる、で。
「何なんだ? あの車。」
自分にも見覚えはなくって、でも、アメフト部へ用事がある車だったなら、あんなことさせといても良いのかよと、すぐ傍らをゆく総長さんを見上げてちょっぴり憤然とした声を上げた坊やへと、
「………まあ、大丈夫なんじゃねぇ?」
おやや? な〜んか歯切れが悪くはないですか? 葉柱さん。
「ルイ?」
この世に怖いものなんて、ヘソを曲げたメグさんとこの坊やくらいのものという…事情を知らない人には、強いんだか弱いんだか、ちょっと微妙かもしんない言い方でごめんなさいの、そりゃあ強くて頼もしいヘッドなのに、なんでそんな曖昧な言いようをすんのかなと。キョトンとしてしまった坊やの耳へと届いたのが、スライドドアが ガーッと開いたらしき音。そして、
「お、何だよ。結構スカした兄ちゃんじゃねぇか。」
「イカレたの間違いじゃね?」
今日のいで立ち、いつもの“彼”には滅多にないほど珍しく、小ざっぱりとした淡彩のスタンダードなシャツを引っかけた、結構まともな恰好なんだけれど。そんなことは知らないだろう、こっちの若いの。囃し立てるような声が続いたのへ、つられるように振り返った坊やの視線が捕らえた情景はというと。
――― これをもって“瞬殺”と呼ばずして、何を持って来ようか…。
挑発へ乗って喧嘩腰の一言でも放つようなら、こっちは二人だ、立て続けに先制の拳を繰り出して黙らせりゃあいい。怯えてしまえばそれこそ重畳。そのまま図に乗って、やっぱりこづき回せばいいと。そんなくらいしか思ってはいなかったのだろう、調子づいてた二人連れが、だが。小馬鹿にしてからかうような彼らの口利きの、その語尾が口から出切ってしまうのを待たずして、延ばされた両手がそれぞれの胸倉をがっつりと掴んでおり。
「な…っ。」
そんなあしらいへハッと気づいた時にはもう既に、足が地面から浮き上がっている。さして身長に開きはない筈の相手なのに、ただ膂力のみで、それも片腕それぞれに一人ずつという割り当てで、ぐいと…ダンベル運動でもこなしているかのようなノリにて、あっさりと青年二人を宙へ持ち上げている恐ろしさ。
「面白い挨拶、してくれちゃったねぇ。」
軽妙な口調だし、口許にはうっすらと笑み。だが、濃褐色のフレームに淡い褐色のレンズという細身のデザインのサングラスの奥、冴えた双眸は凍るように無表情なままであり。相手の返事も反応も待たずして、それぞれの手で掲げた二人を“待ったなし”の素早さで、がっつんと顔同士、叩きつけてやった凶悪さ。
「…ありゃあ痛てぇぞ〜。」
「でこは頑丈だから相手への凶器になんし、顎は叩かれりゃ頭の天辺に突き抜けるし。」
「鼻は脆いし、当たりようによっちゃ前歯だってやられちまうしよ。」
力持ちな男だというのは既に一目瞭然だったから、ただでは済んでいないことだって容易に知れて。片方の青年が“ひいぃぃ〜〜〜っ”と情けない声を上げ続け、もう片方は痛てぇ痛てぇを連呼している。まだ胸倉を掴まれたままだったので、男の方を向いている彼らの顔がどんな惨状になっているのかは見えないのだが、まだ手を離さないということは、まだ許してやんないという意志表示ではなかろうか。
「…あのやろ。」
つか、何でここにいる訳? 早速にもマイペースで辺りの空気を染め上げてくれちゃった、目印のドレッドヘアーも健在の“痛くない歯科医”さんのお姿に、一瞬言葉を無くし、次には呆れ、そしてそして、何でまたあの彼が此処にいるのかを知ってはいないかと、傍らの総長さんに訊こうとした金髪の坊やへと、
「あ、ヨウちゃ〜んvv」
だぁか〜ら〜。そんな親しげな声出して手ぇ振んなっつーの。そんなするから、
「…っ。」
「えっ!」
「嘘だろっ。」
ほら見ろ。アメフト部のみんな、俺がああまで容赦のない乱暴者と知り合いなのかって思って、思い切り引いちまったじぇねぇかよ。俺は此処では“可愛いマスコット”で通ってるってのによ………などと。きっと皆さんが“そんなことはないぞ”と顔の前でぶんぶんと手を振って否定して見せたろう、こちらさんもまた自分勝手な言いようを胸の裡(うち)にて転がしたものの、
「………ルイ?」
この中では坊やを除いての唯一、あのお兄さんの素性をよくよく知っている人だとはいえ。だからにしたって…この突然の来訪に、全く意外そうでもないままにいる総長さんだと気づいた坊やが、
「…俺、帰る。」
素早く踵を返そうとしたところを、こちらさんも素早く屈み込み、
「まあ待て。」
がっしと脇へと手を添えて、そのまま抱き上げ捕まえてしまったからには、もうもうこれは間違いはない。
「さてはグルだなっ! ルイっ!」
「人聞きの悪いことを言うなよな。」
「そだよ。カメレオンズのキャプテンさんは、ただ協力してくれただけ〜。」
本来の目的の、可愛らしい“患者さん”が来てくれたから、今日のところはこのくらいで勘弁してやるとばかり。さっきまで構ってやってた男衆二人をあっさりと見切って、無情にも地べたへ放って来たらしい歯医者のお兄さん。ずんと健脚なのだろう、結構距離があった筈なのに、あっと言う間にこちらの間近まで来ており、
「ヨウちゃんも知ってるだろ? 俺や雲水が籍置いてる合気道の本山がさ、7年に一度の開山法要とそれに合わせての荒行修練をやるんで、この夏は予定が全部、前倒しになっちゃてるんだよね。」
いい子いい子と、大きな、けれど機能的できれいな所作を見せる手が、宙空に抱えられたまんまの坊やの柔らかい髪を撫でてやり、
「学校で歯科検診の結果をもらった近所のお子たちからの予約もあるしでサ。だから、いつものバトルをやってる余裕がないんだよね。」
皆様も覚えていらっさることでしょう。この、喧嘩の修羅場に立ったなら相手は骨さえ残らないじゃないのかってほどの、凄まじいまでの腕っ節をしていながらも、実は実は“痛くない歯医者さん”として名を馳せてもいる、金剛さんチの阿含さん。妖一坊やのお父さんのお友達で、よって坊やとも彼が生まれた時からのお付き合いがあり、殊に歯科に関しては毎年のように、きっちりと隅々まで“検診&対処”を尽くして下さるありがたい人なのだけれども。あいにくと坊やは歯医者さんが死ぬほど嫌いと来ているもんだから、物心ついたと同時、決死の抵抗が始まって。お母さんの手さえ振り切って、幼稚園前だってのに知り合いのところを転々と泊まり歩いてまでして逃げた『武勇伝(?)』は結構有名だし、去年もまんまとトラップに引っ掛かったのへ、そりゃあ凄まじいほどの抵抗を見せたのを拙作でご紹介しておりますので、よろしかったらどうぞご一読をvv(おいこら)
「そこで。バトルを構えるのは諦めて。放課後の坊やを一番取っ捕まえやすいだろう、この総長さんへ連絡を取ったって訳。」
別に隠し立てをすることもないと、あっさり全容を語ったおしゃれな歯医者さんに続いて、
「ああ。頼まれたんで応じただけだ。」
葉柱のお兄さんもあっけらかんと言ってのける。こちらさんにもさしたる異論や抵抗はなかったらしく、練習試合や交流戦、はたまた学校行事などなどの予定の入っていない日を連絡し、どの日が双方に都合がいいかを詰め合って、今日なら問題なさそうだと決まった…とのことで。
「う〜〜〜。」
まるで、体重測定するからねとばかり、お母さんの手元からちょっとの間だけ引き離された、パンダの赤ちゃんよろしくという体で。ひょいと抱えられてたホントにそのまま、頼もしいお兄さんたちの手から手へ、右から左へ、簡単にリレーされちゃった小悪魔くんであり。まだね、葉柱のお兄さんが相手なら、多少は暴れるなり泣き落としをするなりが効いたかも知れなかったのだけれども。ハッと我に返った時にはもう遅かった。特別仕様だという、戸別訪問用歯科検診カーの中に連れ込まれており、
「ルイの裏切り者〜〜〜っ!」
坊やのまだまだソプラノがかった綺麗な雄叫びが、黒美嵯川の流れに乗って、空しくも伸びやかに鳴り響いたのでございました。
おまけ 
「大体なんで毎年六月にばっか、検診に来るんだよっ。」
「六月といえば“虫歯予防デー”だろうがよ。」
「六月といえば衣替えだ、虫干しだっ!」
坊やが対抗して挙げてみたものも、結構…子供にはらしくないものだったので。傍で聞いてたカメレオンズの部員たちが“おいおい”と目許を眇めて見せる。
「…今時に虫干しはないだろ、虫干しは。」
「虫干しってそもそも何スか?」
「晴れた日に、書物とか建具とかを外へ出して広げて、乾いた陽に晒すことだよ。」
殺虫除菌の効果があったそうで、でもそれって、
「土用干しともいって、今の暦だと七月に入ってからじゃなかったかな?」
真夏では太陽光線も強すぎて、晒すと却って傷めてしまいかねないから。確か梅干しの土用干しと同じ頃合いな筈だよねと続けたマネさんへ、
「メグ先輩、詳し〜い。」
「素敵〜vv」
一年生のチア部員たちが憧れの籠もった黄色い声を上げてたり。………なんか毛色が変わりつつあるんスかね、このアメフト部も。(苦笑) すったもんだした揚げ句、坊やの診察に入ってからしばらく経つと、他の部員たちも授業を終えて集まって来て。いつものように準備こそしつつも、何だか妙な盛り上がりになってしまい、練習を始めようぜと切り出す者もないままな微妙な空気の中。歯医者にしては精悍で逞しいお兄さんと睨めっこになっていた坊やの、相変わらずちょいと弾けた発言へ、それなりの反応が幾つか続いたその後で、
「………。」
ベンチに座って黙ったまんま、何事か思いを巡らせていたらしき総長さん。ややあって、ぽつりと口にしたのが、
「六月って言ったら、ジューン・ブライドじゃねぇのか?」
特に何という含みも無さそうに、それは自然な口調でぺろっと呟いたもんだから。
「…………………。」×@
おお、これはなかなかに破壊力があった咒のようで。さすがはアケメネイ出身の導師様vv
“こらこら、これとはシリーズが違うだろがっての。”
あははのは、すびばせんです。(笑)
「………るい?」
何を突然、随分とまた似合わないことを言い出しますかこの人はと、皆の想いを代表して坊やが声をかけたれば、
「ウチのお袋が、この時期はあちこちの式場をハシゴするので忙しいんでな。」
そうでした、さすがは葉柱“都議”夫人。政治家からのお祝いは“貰わない・求めない”とは申しますが、それでも“お付き合い”や“顔つなぎ”というものは大切にするのが基本だし。先代や先々代からの交際範囲を思えば、1年中の毎日いつでも、細くはないつながりのある何処かの誰かが何らかの冠婚葬祭に関わっていかねないという特殊なお家柄ですもんで。
「足元の悪い雨が多い梅雨どきだってのに、何で重なるんだろうな。」
これまた素直に、素朴な疑問を口にしたのが総長さんならば、
「だからそれは、ヨーロッパの風習をまんま持って来たからで。」
欧州では春に雨の日が多くって、六月からやっとカラッて晴れるんだと。それと、六月の神様はジュノーっていって、ローマ神話の神様たちの中では一番偉い“ジュピター”って神様の奥さんなんで(ギリシャ神話ではゼウスの妻のヘラ)、この月に結婚すると立派な家庭を築く幸せな奥さんになれるって言われてて。そういう縁起をかついでか、一斉に結婚式が催されるんだと。それにあやかって、日本じゃあ梅雨で敬遠される六月も、実はおめでたいんですよって宣伝打って、それで広まったらしいぜと。皆ちょっとそこへお座りと構えての説明をしたのが、一番小さい小学生の坊やだってのが、相変わらずに妙な人たちなんだけど。
“面白いお友達を作ったもんだよね、まったく。”
そんな坊主たちを、こちらは微笑ましくも眺めるところの、大人の立場な阿含さん。おマセでこまっちゃくれてて、油断して接したらぴりりと辛いしっぺ返しを喰らってしまう、トンガラシのような小悪魔坊や。その愛らしい容姿から、誰からもいい子だいい子だと可愛がられていたものを、何をどう勘違いしたものやら…それとも自立心が旺盛だったのか。好き勝手にからかわれてばっかなのは癪だからと、小癪な知恵をつけて態度を使い分け、機転を巧妙に利かせるようにもなり。気がつけば…大人たちを良いように引っ張り回せるような、とんでもなく強かなスーパー・キッズに育ってた。特殊な家庭の子だったからね、ある意味でそれも一種の自己防衛のようなものだったのかも知れない。そんな変わった子供になったこと、こっちは少しずつの成長の中に見ていた立場だったから、頼もしいことよと面白がりつつ見守って来た。けれど、あの、対人関係なんてジャンルにはちょっぴり不器用そうなお兄さんはね。去年の今頃に初めて、此処まですっかり出来上がってた坊やと出会ったって手合いなのにね。
「…ホント、何にも知らねぇんだからな、ルイはよ。」
「放っとけよ。」
あれでも警戒心の強かった子があっさり懐いてしまってて、それが素の乱暴な口利きをしながらも、同時に…お膝へ馬乗りなんてな甘え方を、衆目の中でも披露しちゃうんだから大したもので。
『ルイの裏切り者〜〜〜っ!』
歯医者が嫌いだってこと、ちゃんと知ってるくせにね。勝手に連絡取り合って、こそこそとこんな段取り組んでたなんて。信じてたのにルイの馬鹿と言わんばかり、本気で怒ってた坊やだったのだけれども。
『あのな、ヨウイチ。』
診察用の椅子に座らせても、尚も往生際悪く暴れるのをいなしついでに、白衣を羽織って不織布製の帽子とマスクを装着し、手先の殺菌作業を取りながら、こっちはこっちなりの説得の声を掛けてやった阿含であり。
『あのお兄さんにしてみれば、お前が色々と悪あがきからの抵抗をすることで、俺に1日とか半日とか、かかりっきりになんのが詰まんなくって。それでこういう運びへ協力してくれたのかもしんないんだぜ?』
別に肩を持ってやろうと思った訳じゃあない。たださ、
『本人がそう言ってた訳じゃあないけどよ。お前のためを思って…なんてな殊勝な理由じゃないとしたならサ、残りはそれしかねぇじゃんよ。』
そう、あいつもまた、自分のエゴから動いただけだって、そう言いたかったまでのこと。なのにね。
『………そか。////////』
だから、ほらそこ。なんでそんな、顔が赤くなったりするのかな。(苦笑) 指摘したならきっと絶対、ムキになって否定して、言い逃れも兼ねてますます暴れるだろうからね。簡単にで良いから歯を磨けと、話を逸らしてやりながら子供用の歯ブラシを差し出してやった。うんうん、なんて優しいお兄さんなんだろうか、俺ってば。
『クマさんのが良いか? 男の子だからトラさんかな? ウサギさんのはピンクだぞ?』
飛行機や働く車シリーズのもあるぞと、試供品としてもらったキットを広げてやれば、たちまち金茶の瞳が吊り上がり、
『子供扱いすんじゃねぇよっ!』
『だって子供じゃんか。』
きちんと統計取って、子供の口や歯列のサイズにちゃんと合わせてあんだからな、馬鹿にしたもんじゃねぇぞと道理でもって説いてやれば、
『〜〜〜〜〜。』
ほらね、力量が敵わぬ相手への敵愾心でいっぱいの、心から真摯な眼差しを向けてくれる可愛い子vv もしかしなくとも、随分と曲がったものへ優越や快感を求めている自分なのかもしれないけれど、今更ハッとするような出会いは出来ない間柄になっちゃってるんだもの、しょうがないじゃんか。お互いにお互いを知り尽くしてもいるからね、今更“実は不器用な男なんです”なんて言ったところで、嘘だってのはバレバレだしさ。
「さ、練習開始だよ。」
さして着崩してもいないのに、セーラー服が妙に迫力の、トランジスタ・グラマーなマネージャーさんが声を掛け、大きいのも小さいのも入り混じったアメフトならではな陣営の男たちがベンチから立ち上がり、それぞれのトレーニングへと取り掛かる。
「見学なら してっても良いけど、練習の邪魔はすんなよな。」
こちらも一応は“臨時コーチ”であるらしき坊やから、そんな尊大な言いようを振り向けられて。逆らっても何だからと“はいはい”と苦笑した歯医者さん。梅雨の晴れ間のグラウンドからは、草いきれに混じってあの独特な…丁寧に磨った墨のような、背条が伸びるいい匂いが立ち込めていて。自分たちがそこに立ってた頃をついつい偲ばせる切ない香り。現在動き回って時を追う彼らと、昔此処にいて通り過ぎた後の自分との間に、越えられない境界線でも引くように。懐かしい空気を久々に堪能してしまった、歯科医師さんだったそうでございます。
〜Fine〜 05.6.16.〜6.20.
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*ね? 大したネタじゃあなかったでましょ?(笑)
でもでも、その割には、なんでだか長々と尾を引いてしまいまして。
書いても書いても終わらない病は、
例のお話以外にも及ぶ恐ろしさみたいでございます。(こらこら)
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